お笑いコンビ「レインボー」の池田直人(いけだなおと)さん。
甘いマスクと演技力の高さで注目される芸人さんですが、実は過去に子役として活動していたという経歴があるんです。
さらに池田さんは、もともと俳優志望だった時期もありました。
それがなぜ、今のようにお笑いの道へ進むことになったのでしょうか?
今回は、そんな池田さんの子役時代のエピソードや、俳優から芸人へと転向した理由をたっぷりとご紹介します。
思わず「そんな過去があったの?!」と驚いてしまうような意外な一面も、ぜひチェックしてみてください。
最後までどうぞお読みくださいね。
レインボー池田の過去の子役時代はひな壇
5歳〜高校2年まで続いた子役時代
池田さんは、5歳から高校2年生(約17歳)まで、子役として活動していました。
バラエテイ番組や番組のコーナー、CM出演などを通じて、幼い頃から「表現する場」に触れていた、と語ってます。
池田さんは子どもの頃はずんぐりむっくりで
おにぎり食べたいなぁ
というセリフで笑いを取るような役回りもあったとか。

子ども時代の池田直人さん
また、小学校6年の時に事務所がキャラをつけてくれたのですが、そのため、ひな壇から消えてしまったそうです。
「石」で「博士」なので、寡黙なキャラをつくっちゃったんです、『ポケモン』のタケシみたいな。しゃべらないせいか、ひな壇からすぐいなくなりました(笑)。
引用:FULLSIZE
子役から俳優の夢が挫折
池田さんは、子役期には俳優になることへの壁を感じていました。
特に中学・高校の頃、周囲の子がモデルや俳優として華やかに見える時期があり
自分には俳優としての資質が足りないのではないか
という思いに至ったと、語っています。
また、スタイルやキャラクター面で「俳優として映える要素」が揃ってない自分と比べ、差を感じたということも話してます。
「めっちゃみんなハンサムなんですよ。今、芸人界ではハンサム担当とかときどきやらせてもらっていますけれど、いざモデルの子とか俳優さんとかと並んだときに1人ちょっと大きいなって」。
引用:ENCOUNT
その葛藤が、後に「芸人」という道への目を開く原動力になったのではないでしょうか。
高校2年のレインボー池田がお笑いで関西地区の頂点!
ハイスクール漫才で関西地区の頂点!
ハイスクールマンザイプレイベントありがとうございました!!
— レインボー 池田直人 (@ikenao0919) July 12, 2015
ハイマン出身として凄い嬉しかったです!
5年も前なんだって思うと不思議な気持ちになります!
高校生の皆さん!ぜひぜひ参加して下さいね!! pic.twitter.com/gfS0MbcfTx
高校1年生の時に、友人に誘われて”ハイスクール漫才”に出場しました。
その後の高校2年生の時には、粗品さんコンビやせいやさんコンビを破り、関西地区を予選を勝ち抜きます。
「『ハイスクールマンザイ』に一緒に出ないかと誘われて出ました。高2で関西地区800組のなかで頂点に立ったんです。そこで俺こんな才能あったんだと天狗になりました」
引用:ENCOUNT
この経験が、池田さんの心に火をつけたんですね。
この”ハイスクールマンザイ”で
自分にもお笑いで勝負できる可能性がある
と実感したことが、芸人になる決断の大きな後押しになったようです。
レインボー池田が高校生でハマった映画はやっぱり芸人
高校時代、池田さんはお笑い芸人が手がけた映画に強く惹かれたと語っています。
特によく観ていた作品は、こちらの芸人が手がけた作品です。
- (北野)たけし
- 松本人志
- 内村光良
- 劇団ひとり
- 品川ヒロシ
その影響は池田さんの表現感にも色濃く残り、「笑いで感情を伝える」ことの可能性を強く意識させたようです。
ハイスクールマンザイの決勝で東京に来たときは、たけしさんに縁があるスポットを巡りました。たけしさんが願をかけた浅草寺に行ってマネしてみたり。
引用:FULLSIZE
レインボー池田の大学はどこ?ダブルスクールでNSC!
レインボー池田は日本映画大学卒業
レインボー池田さんは高校卒業後は日本映画大学に進学しています。
日本映画大学は、映画単科大学で映画のすべてが学ぶことができる大学です。
日本映画大学<白山キャンパス>

- 住所:神奈川県川崎市麻生区白山2-1-1
- TEL:044-328-9123
座学の授業や映画の撮影はこのキャンパスで行われます。
日本映画大学<新百合ヶ丘キャンパス>

- 住所:神奈川県川崎市麻生区万福寺1-16-30
- TEL:044-951-2511
実習の授業や上映会はこのキャンパスで行われます。
日本映画大学の偏差値は、ボーダーフリー。
口コミでは、映画好きな人にはオススメの大学、と言われてます。
なぜ大学進学?おばあちゃん孝行!
池田さんはなぜ、大学に進学したのでしょうか?
それは、おばあちゃんのためです。
大学進学を決めたのには
家系に大学卒業者がいない
というおばあちゃんの言葉があったから。
もともと池田さんはNSCに入るつもりでしたが、大学進学がおばあちゃんへの”恩返し”になるとの思いがあり日本映画大学へ進学しました。
大学を日本映画大学に決めた理由は
東京に行きたい。
芸人の道に役に立つ大学がいい。
いつか映画を撮りたい。
と考えていた池田さんに、日本で唯一の映画大学はピッタリだったのです。
ちなみに、大学の学費はおばあちゃんが出してくれています。

おばあちゃんは、家系から初の大学生ができて嬉しかったのでしょうね。
大学とWスクールでNSC
大学進学と同時にNSC(吉本総合芸能学院)にも通う、というダブルスクールをする事にした池田さん。
NSCは中学校を卒業したら入れるけれど、高校生活を楽しみたかったのでそのタイミングはあきらめて、高校を出たらすぐ入ろうと決めていました。
引用:FULLSIZE
大学とNSCの両立は大変だったそうで、大学卒業に4年半かかりました。
そのため、卒業制作が間に合わず半年間お笑いを休み、なんとか卒業できました。
池田さんは、ダブルスクールでなかなか大学へ行けず苦労したそうです。
でも、映画大学で学んだ演出や脚本の知識・感覚は、その後の芸人活動においても構成力や演技力の幅を広げる武器になっていると語っています。
レインボー池田の現在の芸人人生
「かわいすぎる女装」が話題!
池田さんはコントで女性役を演じることも多く、その”美しさ”ぶりから「かわいすぎる女装」と話題になることもあります。
その演技の振り幅は、池田さんが俳優志望だった過去と、演技・表現技術を磨いてきたバックグラウンドに支えられているのではないでしょうか。
おばたのお兄さんとコンビ解消


NSC卒業時には『おばたのお兄さん』とコンビを組んでいました。
コンビ名は『ひので』。
単独ライブを同期で1番最初にやったり、ファンの出待ちも多く、かなりの手応えを感じていました。
ですが、賞レースでは勝てず、コンビ仲が悪くなり2016年に解散します。
お互いに”努力する”という感じではなかったと語っています。
コンビ解消のタイミングで、現在の相方・ジャンボたかおさんと出会ったそうです。
過去に精神がおかしくなったことも
コンビ解消した「おばたのお兄さん」がブレイクした時、池田さんは精神がおかしくなってしまいます。
ネタを担当していた池田さんは、
「ひので」が売れなかったのは自分のせいだ
と自分を責める、精神的に辛い1年間を過ごしました。
結成から1年たった17年。池田にとっては受け入れられないことが起きた。おばたのお兄さんのブレークだ。「俺はそれでメンタルがおかしくなります(笑)。しんどかったです
引用:ENCOUNT
2018年に「おもしろ荘」で優勝したことで、葛藤し続けた闇から脱出することができました。
今ではおばたのお兄さんと、仕事で顔を合わせたりする機会ができてきましたが、軽く話す程度しかできないそうです。
「吉本坂46で一緒になったりとかだんだん話せるようにはなってきた。でも、悔しかった時期をどうしても思い出してしまうので、サシではご飯に行けない(笑)」と苦笑い。
引用:ENCOUNT
まとめ
【レインボー池田】過去に子役時代も!俳優志望から芸人になった理由とは?についてお届けしました。
池田さんが、なぜ”俳優志望”から”芸人”を選んだのか、の5つのポイントは
- 幼少期からの表現経験→度胸と舞台慣れを育んだ
- 俳優としての壁を感じたこと→自己批判と限界意識
- お笑い映画や先輩芸人への憧れ→演じる「笑い」の世界への引力
- 高校の大会での成功体験→自己肯定と転機
- 映画大学での学びと感性→エンビ・構成力を芸人活動に融合
こうした複数の重なりが、池田さんを「ただの子役」や「俳優志望の若者」から、「表現者として多様に戦える芸人」へと変えていったのだと感じます。
今後も、コント・演技・映像表現などさまざまな領域でその才能を拡げていくことが期待されるレインボーの池田直人さん。
池田さんの次なるチャレンジに、これからも目が離せません。
最後までお読みいただきありがとうございました。